善意の本性

ご存知の方もお見えになると思いますが、
私、今月より勤務先が変わり、バスと地下鉄で通勤しています。

つまり通勤地獄真っ只中です。
大変ですねえ、腰も痛くて。
それでも徐々に慣れていけたらいいなと思っています。

 

さて、今朝地下鉄で、手の不自由な若者が切符を買うお手伝いをしました。

財布を取り出した後、小銭を出すところから発券して、おつりを財布に戻しカバンに入れるところまで。
ただ、もしかしたら本人が自分でしようと(あるいはしないといけないと)思っているかも、
と少し見守ってから声をかけました。

ここまでなら「いいね」対象なんでしょうが、ここからが問題。

 

身体が不自由だったりしても、ひとりで出かけたり、
仕事に向かったりする人たちって本当にすごいなあ、
自分も腰が痛いけど頑張らなくちゃあなあ、
なんて考えながら会社に向かいました。

実際に他にも車椅子で通勤されている方も見かけたりしていましたし。

さて、これも一見「いいね」対象商品(?)に思えますが、
その後、この考え方の中に自分の方がましというような優劣を前提にしている自分がいる気がしてしまったのです。

 

身体のことだけでなく、頭が良いとか悪いとか、お金があるとかないとか。かっこいいとかダサいとか。
色々な優劣を半意識的に前提として心が動いているような感じがして、とても不安な気分になってしまいました。

遡ってお手伝いした事も単に良い人に思われたいっていうことからの行動なんじゃないかとも思ったり。

 

私は、おせっかい(世話をやきすぎるウザい人)ですし、気い使い(気をつかいすぎて空回りする人)なので、そのあたりが影響しているのかもしれません。

 

なんかうまく言えませんが、あまり自分の善意を深堀りして考えず、困っている人がいれば声かけるようにしてればいいのかな。

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